特別対談

塩川正十郎財務大臣・福井俊彦日本銀行総裁がハンドボールを語る

スポーツは人生を豊かにしてくれる(塩川大臣)
ハンドボールは素晴らしい(福井総裁)

塩川 正十郎(しおかわ まさじゅうろう)
   大正101013日東大阪市生
   昭和143月  大阪府立八尾中学校卒業
   昭和193月  慶應義塾大学経済学部卒業
   昭和396月〜昭和4112月 布施市助役
   昭和42l月  衆議院議員初当選
          内閣官房副長官、運輸大臣、文部大臣、内閣官房長官、
               自治大臣・国家公安委員会委員長及び自民党・税制調査会長、総務会長等を歴任
   平成13年4月  財務大臣
 福井 俊彦(ふくい としひこ)
   昭和10年9月7日大阪市生
   昭和29年4月 大阪府立大手前高等学校卒業
   昭和33年3月 東京大学法学部卒業
   昭和33年4月 日本銀行入行
   昭和45年4月 パリ駐在
   昭和52年5月 総務部企画課長
            高松支店長、大阪支店副支店長、総務局次長、人事局次長、調査統計局長、営業局長、総務局長、
         日本銀行理事、日本銀行副総裁、?富士通総研理事長、経済同友会副代表幹事を歴任
   平成15年3月20日 日本銀行総裁
 現在、日本のリーダーとして第一線で活躍されている塩川正十郎財務大臣と福井俊彦日銀総裁がハンドボール界のOBであることを知る人は多くありません。塩川大臣は慶應義塾大学ハンドボールで、福井日銀総裁は東京大学ハンドボール部で青春の日々をハンドボールと共に過ごされました。平成15年8月27日、ホテルオークラ”桜の間”において、ご多忙中のお二人にハンドボールに対する思いと、ハンドボール界に対するエールを熱く語っていただきました。日本協会からは渡邊会長、大西専務理事、川上常務理事が同席、聞き手は杉山茂日本ハンドボール協会アドバイザー。
 杉山氏から両氏の名前の掲載されている当時の学生リーグ・パンフレットが贈呈され、お二人とも懐かしそうにページをめくりながら当時に思いをはせ、対談が始まりました。
渡邊会長; ハンドボールをメジャーにするためには、ハンドボールOBの方にハンドボールはこんなに楽しいということをPRしていただきたい。金融の大御所で有られる塩川大臣と福井日銀総裁が共にOBで有られますので、大輩達に元気の出るような話をして いただければと企画致しました。よろしくお願い致します。
杉山氏;  お二人は、お互い学生時代にハンドボール携わっていたと言うことはご存じだったのでしょうか。
塩川大臣; この企画で初めて知りました。いや、びっくりしましたね。福井総裁とハンボールの話をしたことは全くありませんでした。
福井総裁; 私もそうです。大臣が、ハンドボールをやっておられたことは全く知りませんでした。今夏の企画で初めて聞いて、はじめて大先輩なのだと知ったわけです。
杉山氏; ハンドボールを始められたきっかけは何でしょうか。
塩川大臣; 旧制中学の4年生まではサッカーをやっていたんですよ。でも、受験のために部活動はやめました。慶應大学に入学して、サッカー部に入ろうかと思ったのですが、当時は部員が200名を超す大所帯でやめました。ちょうど、その当時ドイツのオットー大使がハンドボールを持ち込んで、慶應大学にハンドボール部ができ、同僚に誘われて入部したのが本科1年の時でした。オットー大使には、一度試合場(多摩川オリンピア)に来られたときにお目にかかったことがあります。戦中もリーグ戦をしていましたが、おまえらいつまでやって居るんだ、と言われ、昭和18年春で幕を閉じ、その年12月1日に入隊致しました。
福井総裁; 私は正式に運動部に入ったのは大学に入ってからです。高校までは草野球をやっていました。大学では本格的に運動をやろうと、サッカーにするか、ラグビーにするか迷っていたときに、後に三菱商事で活躍された河内氏に誘われて入部しました。
 2年生以降の試合にはほぼ全て出場しました。活動の中心はリーグ戦でしたが、京大との定期戦も必死で戦いましたね。当時は日体大、芝浦工大が強く、芝浦工大の高島監督にコーチを依頼したり、日体大の合宿に参加したりといろいろお世話になりました。日体大の合宿はきつかったけれど、ためになりました。

 ちょうど11人制から7人制への移行の時期で、4年生の最後のシーズン終了後、東大有志で7人制大会(大阪)に参加したこともあります。グランドでプレーするのと、フロアーでプレーするのは大違いで7人制ではケガばかりでした。
杉山氏; ハンドボールは、その後の生活にどのように生かされていますか。
塩川大臣; 体で覚えたことはいつまでも忘れませんね。テクニックは忘れてしまっても、学生生活のことは忘れませんし、スポーツは人生を豊かにしてくれたと思います。
福井総裁; ハンドボールというスポーツは、スポーツの中でも厳しいものだと思います。本当に実力をつけなければならないし、たまたま勝つと言うことはない。一人が頑張ってもだめだし、チームとしてのコミュニケーションがとても大切です。そのためか、ハンドボーラーには謙虚な人が多いですね。
杉山氏; 最近はハンドボールとどの様に、関わっておられているでしょうか。
塩川大臣; 弟が八尾高校でハンドボールをやっていた関係で7人制になってからもボールは握ったことはありますが、代議士になってからはハンドボールの会合に出るくらいです。ただ、現在も10万人会のサポート会には入会していますよ。
福井総裁; 僕は今でもハンドボールとは深い関わりを持っています。現在でも東大の現役からも入ってきますし、前の協会専務理事の大野氏ともつき合いがありますから。
杉山氏; ハンドボールの現状は、必ずしも芳しくありません。メジャーなものにするためにはどうすればよいでしょうか。
福井総裁; 僕とハンドボールの始めての接点は学校での授業です。ハンドボールは見るよりもやった方がずっと楽しい。学校でハンドボールが出来るようにすることが大切でしょう。そして、ナショナルチームがオリンピックに出場し、かつ成果を上げること。トップクラスが夢を実現することが大切です。草野球も楽しいが、ハンドボールはもっと楽しい。草野球と同じようにハンドボールも原っぱがあればできるんです。
塩川大臣; 同感です。トップが強くなり、マスコミに乗らなければならない。実際に普及していないのだから、はじめは学校体育に入れていくことが大切だと思う。ハンドボールには魅力があるんだから。例えば、フォーメーションが決まって、ディフェンスをサッと抜いたときの快感は最高だよ。
 技術的にはプロを作ることも意味がある。女子柔道の今あるのはミキハウスが活動を始めたことがきっかけ。プロは選手ばかりでなくコーチについてもいえる。ラグビーなどでは会社が社員として卒業生を就職させて部活動を見させている。ハンドボールは教えてもらえば、さらに上達するスポーツですから、コーチのプロ化は意味がある。
杉山氏; スポーツと青少年問題についてはどのようにお考えでしょうか。
塩川大臣; スポーツは学校教育中心じゃない方が良い。地域ぐるみ、ヨーロッパのような民間のクラブを育成する方向が大切です。
福井総裁; ハンドボールは格闘技。体を動かすことは大事だし、スポーツを通して生存競争の厳しさを身につけることが出来る。クラブの役割は青少年がスポーツをしたいと きに出来る組織を作り、青少年一人一人をスポーツをしたくなる様にし向けることを、期待されているのではないでしょうか。
杉山氏; 国家予算とスポーツの関係はどうすべきでしょうか。やはり、スポーツの資金は受益者負担が原則でしょうか。
塩川大臣; クラブはNPO方式でやることも良いし、柔道の講道館は財団法人化している。クラブには財政的補助をするのではなく、税制面で配慮をして育成してゆけばよい。現状のような、有る特定の中央からの補助金に頼っているうちは、協会が利権に走りがちになり、健全な組織は育たないと思う。スポーツは統制されるものではなく、あくまで自主意識で動くものなんです。
福井総裁; 私も大臣と同じで、スポーツの場をコミュニティーの中に作ることが大切だと思います。スポーツは、国家が管理すべきものではないのです。スポーツに意味を感じている民間(企業)が必要に応じて運営すべきものです。国が予算を用意してスポーツを青少年にさせれば良い、というものではないと思う。
杉山氏; 最後にオリンピック予選に臨むナショナルチームへのメッセージをお願い致します。
福井総裁;  「最後まであきらめない」誇りを持って、堂々と最後まで戦ってほしい。
塩川大臣; 「もう一踏ん張り、一踏ん張り」みんな苦しいんだ。どっちも苦しいときに、グッと気持ちをやり返すことで道が開かれるんだ。それにつきる。
大西専務理事; 本日はご多忙中の所、本当に有難うございました。本日は楽しい話から、スポーツの発展ためになる話、勇気をを頂いたように思います。ハンドボールの先輩にこのようなすばらしい日本のリーダーがいらっしゃることは頼もしく、誇りに思っております。お二人の今後のご活躍を我々も応援しております。今後もハンドボール競技を応援、PRよろしくお願い致します。

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