<IHFニュース 2005年04月19日号>



  このIHFニュースは、国際ハンドボール連盟(IHF)が、毎月発表している
  プレス・リリースを日本協会で和訳したものです。原文については、IHFのウ
  ェブに掲載されていますので、こちら(英語版)をご覧下さい。
  最新のニュースとさらに詳細な情報についてもIHFのホームページをご覧下さい。

  • ワールド・ハンドボール・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー 2004:故アニタ・クルチサーとヘニング・フリッツ

  • ワールド・ハンドボール・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー 2004:故アニタ・クルチサーとヘニング・フリッツ


    WHM(ワールドハンドボールマガジン)の読者とIHFウェブサイトへの訪問者たちは再度投票を行い、結果と
    しては2つの全く異なる形となった。即ちアニタ・クルチサーとヘニング・フリッツが2004年のワールド・ハン
    ドボール・プレーヤーとなった。
    
    2005年1月19日に亡くなったハンガリーのナショナルプレーヤー、アニタ・クルチサーの悲しいニュースはワー
    ルド・ハンドボール・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーの投票に影を投げかけた。彼女は28才の若さで、自分のク
    ラブ、ドナファーの練習に向かう途中自動車事故で亡くなった。世界中のハンドボールファンは彼女を偲び、死
    後ではあったが65.7%という圧倒的な数字で彼女を選んだ。オリンピックチャンピオンの3名、カトリン・フル
    ールンド(DEN)、リッケ・シュミット(DEN)、リネ・ダウガード(DEN)がフランスのヴェロニク・ペコー・
    ロランを抑えて、それに続いた。
    
    男子の投票も女子の場合と同様、はっきりとした結果となった。へニング・フリッツ(GER)が堂々38%の得票を
    得てワールド・ハンドボール・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー史上初のゴールキーパーとして受賞した。彼は2
    位のホワン・ガルシア(ESP)の倍以上の得票だった。クロアチアのミルザ・ドゾンバは、彼のチームメートで
    昨年のワールド・ハンドボール・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー、イヴァノ・バリッチを抑えて3位となった。
    キューバ生まれのカルロス・エンリケ・レイナルド・ペレスは、今やハンガリー代表チームでカギを握る選手に
    なっているが、5位に終わった。
    
    IHFとそのパートナー、アディダスに約4万票の投票があったが、これは昨年をわずかに上回った。これには
    新しい特色が役立っているようだ。IHFのウェブサイトにはこの投票のための投票用紙ができており、これを
    使って投票ができるようになっている。
    
    アニタ・クルチサー − 欠かせない人
    
    アニタ・クルチサーはセレンチでハンドボールを始め、ジョーリETOのスカウトが彼女の才能を見つけるまで2部
    リーグのニイレジハーザでプレーをしていた。当時彼らは、彼女が世界で最高のピヴォットのうちの1人になる
    とは思ってもいなかった。
    
    1995年のワールド・ハンドボール・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー、エルサベト・コチシスがそのキャリアに終止
    符を打って後、身長178cmのクルチサーはわずか19才でハンガリー代表チームに飛び込んでいった。そこで彼女
    はすぐにコーチ、ラヨス・モチサイにとって欠かすことのできない柱となった。1998年にはオランダ・ヨーロッ
    パ選手権で銅メダルをとり、これは彼女にとって初の国際メダルとなった。また2000年ヨーロッパ選手権で1位
    となった時には、彼女は既にチームの1部をなしていたが、シドニーオリンピックと2000年クロアチア世界選手
    権の決勝では、敗北を認めざるを得なかった。
    
    ヘルスFTC ブダペストでクルチサーは、コメンタル・スコピエとチャンピオンズリーグ決勝で争った。前ワール
    ド・ハンドボール・プレーヤー、ボヤナ・ラデュロビッチとハンガリー代表ゴールキーパー、カタリン・パリンガ
    ーのクラブ、デュナフェルSEと彼女がサインをしたのはほんの去年のことである。クルチサーは国際試合 165
    試合に出場し、最後のそれは2004年12月19日ブダペストで、ヨーロッパ選手権の最後にロシアを破って銅メダル
    を得た試合だった。そしてこのピヴォットはそのキャリアの素晴らしい数多くの場面に、悲劇の影を投げかけて
    しまった。
    
    へニング・フリッツ − 信じられない年
    
    へニング・フリッツは、今まで誰もが通り抜けられなかった歴史に、2004年8月24日加わった。アテネオリンピッ
    クの準決勝、ドイツ対スペイン戦土壇場の7mシュートアウト。スペイン側は4人がドイツのキーパーを相手に
    挑戦しては失敗を繰返し、延長2回の後32−30で自チームに勝利をもたらした。30才になるフリッツをWHM
    (ワールドハンドボールマガジン)の読者がワールド・ハンドボール・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに選ぶの
    は、ゴールキーパーとして初めてのことであり、ヨーロッパチャンピオン、ドイツ代表としてオリンピック銀メ
    ダル、THWキールでEHFカップ、と信じられないような年にさらに花を添えた。
    
    彼は8才でTuS ノイシュタッドのクラブでキャリアを始め、その後スポーツ学校やトレーニングセンターの環境
    が完璧でその恩恵を受けられるSCマグデブルグへ早い段階で移って行った。それは彼が1部に17才で入り、代
    表選手としてデビューする3年前のことであった。彼はTHW キールと契約のためSCマグデブルグを離れたが、
    188cmの彼はここでまさに世界レベルに登った。
    
    フリッツは、2002年から2004年の間に連続4回決勝出場した前ドイツチームの偉大な功績の立役者でもあった。
    彼は2003年ポルトガル世界選手権、スロヴェニアのヨーロッパ選手権、そしてオリンピックでもオールスターチ
    ームに選ばれた。次のオリンピックに彼は高い目標を掲げている。2007年母国で開催の世界選手権で世界チャン
    ピオンになって翌年の北京オリンピックに出場することである。
    
    フリッツは輸出・卸し業を職業とする商人で、妻と娘2人とキールに住んでいるが、ゴールポストの間に立って
    いるときの自分の効果についてよく知っている。「時々シュートする選手の尊敬を本当に感じるときがある。彼
    らは神経質になれば余計に心配になることも感じている。」
    
    
    投票結果
    
     <女 子>
      アニタ・クルクサー	(HUN)     65.7%
      カトリーヌ・フルエルンド (DEN)    8.8
      リッケ・シュミット (DEN)       6.4
      リーヌ・ダウガード (DEN)       5.3
      ヴェロニク・ペクー・ロラン (FRA)   4.7
      マリナ・ヴェルゲリュク (UKR)     2.4
      サン・ユン・リー (KOR)         2.0
      スン・ヒ・ウー (KOR)         1.8
      その他                2.9
    
     <男 子>
      ヘニング・フリッツ (GER)            38.5%
      ホワン・ガルシア (ESP)             17.2
      ミルザ・ドゾンバ (CRO)             9.7
      イヴァノ・バリッチ (CRO)             9.2
      カルロス・エンリケ・レイナルド・ペレス (HUN)  8.5
      オラフル・ステファンソン (ISL)         7.1
      クリスチャン・シュワルツァー (GER)       6.1
      その他                     3.7